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政宗による文化の確立
伊達政宗は、政治の拠点として新たに仙台城を築くにあたり、これまでの伝統を重視する姿勢をみせました。仙台は古代陸奥国府の所在地である宮城郡に位置することもあり、この地の名所・旧跡の再興と再生に力を尽くしています。 奈良時代の陸奥国分寺跡に薬師堂を建立し、平安時代の坂上田村麻呂にゆかりがあり、室町時代には奥州探題大崎氏の崇敬を受けた大崎八幡宮を仙台に移転させました。また、鎌倉時代以来、陸奥国随一の名刹と称される松島円福寺を瑞巌円福禅寺として再興しています。その際、畿内から当代一流の技術者を呼び寄せ、手の込んだ彫刻や極彩色からなる装飾性豊かな建造物や、金地に色彩豊かな濃絵で描かれた豪華絢爛な障壁画といった、桃山文化の豪壮華麗な手法を取り入れました。
その一方で、伝統的な水墨画の世界も取り入れられ、具足や衣装などにも斬新な美意識が徹底されています。さらには南蛮文化の影響も受けており、西洋世界への関心の高まりもみられました。政宗の文化的素養は、和歌や連歌、茶の湯、能楽、香といった伝統的な文化にも発揮され、これらは伊達家伝来の学を通して身につけられるとともに、当代一流の文化人との交流のなかで磨かれていきました。